●平成14年度神農祭
日 時 11月23日(祭)午後2時〜4時
会 場 湯島聖堂・斯文会館(文京区湯島1―4)
内 容 ・午後2時  神農祭(湯島聖堂内・神農廟前)
     ・午後3時  記念講演「日本に於ける神農信仰」
               早稲田大学名誉教授 村山 吉廣
     ・ 午後4時30分  奉賛会主催懇親会  斯文会館 講堂  会費8000円
事務局 東京都文京区湯島1―4―25斯文会
電 話 03・3251・4606



神農像


解 説


神農メモ

■神農 しんのう

中国神話にみえる農業神。《孟子》滕文公上に〈神農の言を為すもの許行〉とあって,その学派の成立をうかがわせるが,神話的な伝承はほとんどなく,《易》昔辞伝下に,記犠(ほうぎ)氏(伏羲)についで興り,農耕や交易を教えたことがみえ,のち先農としてまつられた。これを炎帝とするのは漢以後のことである。《淮南子(えなんじ)》脩務訓に〈百草の滋味を嘗(な)め,一日にして七十毒に遇う〉とあり,本草医学の神となったことを記している。《漢書》芸文志に神農黄帝の書として,《神農》20編,《神農黄帝食禁》7巻などを著録するが仮託。三皇説が出るにおよんで,《荘子》盗跖(とうせき)に〈民その母を知るもその父を知らず。麋鹿(びろく)とともに処(お)り,耕して食い,織りて衣(き)る〉と上古無為の理想の時代とするのは,《礼記(らいき)》礼運の上古を大同の世とするのと同じ考えかたである。神話のうちでは最も作為的な神であるが,民衆の生活のなかでは永く信仰の対象とされた。
                         白川 静

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■炎帝 えんてい

中国太古の伝説的な帝王。もともと南方に位置し夏の季節をつかさどる観念的な神格であったと考えられる。五行思想で〈火〉にあたる位置にいるところから,三皇の一人,神農と結びつき,炎帝神農氏と呼ばれ,伏羲(ふくぎ)と黄帝の間に入る帝王として歴史化された。姓は姜(きよう)。母の女登は神竜に感じて彼を生み,人身にして牛首であったという。聖徳があって帝位につくと,陳に都を定め,耒(らい),耜(し)などの農具を発明して穀物をうえることを人々に教え,市場の制度を創始するなどして民生の安定につとめた。また草木を嘗(な)めて薬草を探し,《神農本草経》4巻を著したとされる。皇甫謐《帝王世紀》,司馬貞《補史記》三皇本紀を参照。
                 小南 一郎

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■神農本草 しんのうほんぞう

中国の陶弘景が《神農本草経》を編纂した時に用いた底本の一つで,上中下の3種に分類した365の薬品を収載した薬物書であったという。《証類本草》で黒地に白で表された大きい字の部分がこの書からの引用文であるが,陶弘景によって多少は変更された可能性がある。《神農本草》とは伝説上の帝王の神農が著した本草書の意味であるが,漢代の成立と考えられ,薬物治療の指針として当時の知識をまとめたものである。《神農本草経》と混同されることがある。        赤堀 昭

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■陶弘景 456‐536 とうこうけい

中国,上清派道教の大成者,本草学者。字は通明。南斉の下級貴族の家に生まれ,〈一事知らざればもって深恥となす〉という態度で古典や医薬学を初めとする諸科学を修め,博学をもってうたわれた。29歳での大病を機に道教信仰を深め,孫遊岳に師事して上清派道教経典の正統的継承者となった。492年(永明10),37歳のとき官途を捨てて江蘇省句容県の句曲山(茅山)に隠居し,華陽隠居と号して上清派教団の確立に努めた。以後500年(永元2)までの間に,各地の名山を歴訪して上清経典の真本を捜集し《真誥(しんこう)》《登真隠訣》両教理書を編纂する一方,《本草経集注》を初めとする医薬学書を次々と完成させて,科学的理論に裏づけられた新たな道教教理の完成を目指した。また斉梁革命に際しては,〈梁〉の国号を献じて武帝の厚い信頼を得,以後国家の大事に際してはことごとく諮問にあずかったので,〈山中宰相〉とも呼ばれた。             麦谷 邦夫

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■証類本草 しょうるいほんぞう

中国の本草書。本来は北宋末の1090年(元祐5)ころに成都の医師,唐慎微が《嘉祐本草》と《図経本草》を合し,それに約660の薬と多くの医書,本草書からの引用文を加えて作った《経史証類備急本草》の通称である。しかし《証類本草》の語は未刊のまま終わったらしい唐慎微の書に,1108年(大観2)に艾里(がいせい)がそれに多少の手を加えたものの刊本である《大観本草》と,さらに1116年(政和6)に曹孝忠らがそれを校正して刊行した《政和本草》を加えた,内容的にほとんど同一の3書の総称として用いられることの方が多い。1740余の薬物について記載した書で,前代の書の内容をそのまま伝えているということもあって,宋以前の薬物を研究する時には欠くことのできないものである。                    赤堀 昭

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■本草経集注 ほんぞうきょうしっちゅう

正しくは《神農本草経集注》といい,《集注本草》とも呼ばれる。500年ころに陶弘景が編纂した中国の本草書(薬物書)である。彼は当時伝存していた本草書のうちで365の薬品を収載していた《神農本草》(《本経》と略す)を底本にし,それに《名医別録》(《別録》)の365の薬品とその説を加え,合計730の薬品を収録する3巻の《神農本草経》を編纂した。その上巻は総論で,《神農本草》の文のほかに薬物の分量,製剤法,病症別の用薬名と配合禁忌などを述べている。中,下巻は各論であるが,《本経》で上中下の3品に分類されていた薬物を,玉石,草木などその起源によって分類したのが特徴である。彼はそれとほとんど同時に各薬品についての自説を注として加えた7巻の書を著した。これが《本草経集注》で,注はかなり博物学的色彩を持っている。この書では《本経》と《別録》からの引用文と注は色と大きさを変えて区別してあった。この書は早く失われてしまったが,その後の本草書の中核となり,現存の《証類本草》からその内容を類推でき,日本の森立之などの復元本もある。                       赤堀 昭

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