■江戸考証学の人々とその遺業

小曽戸洋



 考証学は中国の清代に一世を風靡した学問、もしくはその研究方法である。この清朝を代表する考証学の学風は「実事求是」に標語されるように、文献資料を博捜・選択し、客観的事実に基づいてその真相・真理を究明しようとするものであった。それは自己の主観的見解によって経書を解釈したため客観的論拠を欠き空疎に流れた明代の儒学に対する厳しい批判として起こったものである。その研究は経史をはじめ、文字・音韻・制度・地理・暦算・金石・書誌ほかの広い分野に及んだが、ただ医学の分野において瞠目すべさ業績は見られない。

 わが国にこの清朝考証学が広く認識され行われるようになったのは、江戸末期に近い文化文政前後のことである。すなわち一八世紀中葉に公平客観を標し、折衷考証の学をもって学界に一躍名を馳せたのが井上金峨で、その弟子の吉田篁@は考証・校勘・書誌学者としてとりわけ傑出し、わが国における書誌学研究の端緒を開いた。さらに篁@の業を継いで考証学を確立した人物として狩谷@斎がいる。喜多村直寛は@斎をわが国考証学者の第一人者として評価する。@斎は伊沢蘭軒の師として医学における幕末考証学に多大な影響を与えることとなった。

 幕末における考証学・書誌学の担い手の多くは医家であった。書誌学研究の総決算と評される『経籍訪古志』『留真譜』の編纂に携わった人々がそれである。儒学における宋学(朱子学)→古学→考証学の推移と、医学における後世方→古方→考証学の流れとは、思想史的に密接した関係にある。そこに歴史的必然性を否定することはできないであろう。

 医学における江戸考証学の口火を切ったのは目黒道琢であった。『素問』『霊枢』『難経』『傷寒論』『金匱要略』はおろか、宋金元明の諸医書に精通していた道琢は、多紀元孝に抜擢され医学館講師となり元徳の時代を通じてその任にあたった。道琢のこうした学問の背景にはいわゆる後世派的思想があった。事実、彼は若くして曲直瀬塾の塾頭を務めていたのである。後世派のアンチテーゼとして古方派が出現し、さらにそのアンチテーゼとして考証派が起こったとする視点において、道琢は一つの大きな鍵を握っていたということがでさよう。

 医学館を江戸考証学の一大拠点として名実ともに不動のものとしたのは多紀元簡である。元簡は井上金峨を師とし、その卓抜した素質を遣憾なく発揮した。代表的著述『傷寒論輯義』『金匱要略輯義』『素問識』『霊枢識』『観聚方』は普く知られるところである。

 元簡の嫡子元胤は太田錦城を師とし、父の学問を襲った。代表作に『医籍考』『難経疏証』がある。元簡の庶子元堅は元胤の亡きあとを継ぎ、医学館を督した。『傷寒論述義』『金匱要略述義』『素問紹識』『雑病広要』など多数の著書をなしたほか、宋版『干金方』、半井本『医心方』の校刻に尽力した。善本医籍の探索・蒐集と、その校刻事業は、江戸医学の人々が遺した最大の業績の一つである。

 鴎外の歴史小説で著名な伊沢蘭軒は、狩谷@斎の門人で、医を目黒道琢に学んだ。蘭軒の門下からは渋江抽斎・森立之・山田業広などの逸材が輩出した。

 江戸考証学の一翼を担った人物として小島宝素・春沂父子の業績も忘れることはできない。名だたる著述がないので正当な評価がなされないきらいがあるが、ことに医籍の校勘にかけてはすこぶる綿密かつ多量の業績を残している。その遺書の多数を入手した清末考証学の異才揚守敬が絶賛を惜しまないゆえんである。

 喜多村直寛、渋江抽斎、森立之、山田業広はそれぞれ文化一、二、四、五年と生年が近接している。直寛はその筆頭として数々の業績を遺しているが、ある意味では正統江戸考証学の範疇には入れ難い思想の持ち主である。

 抽斎は蘭門五哲の首と称されたほどの人物であったが、長命ではなかったため、さほど多くの著述は遺していない。『霊枢講義』が最も光る。業広はこれに対し、枚挙に暇のないほど数多くの著述をなした。

 道琢に始まり、元簡→元堅らへと拡充した江戸考証学の業績を集大成したのは、何といっても森立之である。立之は若くして@斎、次いで蘭軒門下に入り、最も恵まれた時期を生き、最寿命を保ってこれらの業績をわがものとしたのである。あらゆる知識を吸収しようとする不屈の精神とその天賦の長寿は、江戸考証医家の何人の追従も許さぬ質量の著述を生んだ。明治十八年、立之の逝去をもって江戸考証学は終焉を告げた。
 ― 来年で百年になる。


追記:右の原稿を書いたのは昭和五十九年のことであったが、その後十年の間に上述の考証学者の主な著述の大半は影印出版されることとなった。その業績の発掘と顕彰に微力を注いだ一人として感慨深いものがある。今日これらの影印本は続々と中国へもたらされ、中医古典研究の資料として活用されつつある。清朝考証学は医学の分野において日本で花開き、百五十年を経て中国に報いることになったのである。日本の考証医学の水準の高さを物語るものであり、今後さらにその学問は目本でも中国でも再認識されることになろう。〈安井広迪・大塚恭男・小曽戸洋各氏の原稿は「日本の漢方を築いた先哲医家追薦祭記念講演要旨」を一部加筆再録したものである〉