■華岡青洲

 華岡青洲の名を不朽ならしめたのは、世界初の全身麻酔法であった。また、青洲の創案になる手術手技や薬方は、現代外科の欠を補うに足るものが多い。すなわち、麻酔以外のあまり知られざる臨床面においても、青洲の業績は光り輝いているのである。

 華岡青洲、名は震、字は伯行、俗称雲平、父祖の称をつぎ随賢(三代)ともいう。家号を春林軒といい、宝暦十年(一七六○)紀伊国那賀郡平山村の医家華岡直道の長男として、近郷の豪族松本氏の娘於継を母として出生した。二十三歳の時、京都に上り吉益南涯について古方を、大和見水にオランダ流外科を修めたとされる。傍ら多くの人と交わって儒学や各派の医学を研究した。京都遊学三年にして父の死去により、二十六歳で家業を嗣ぐ。その後三十六歳の時、京都に行き、製薬等の勉学をしている。その主目的は麻酔薬の研究であったらしい。その頃青洲は麻酔薬の必要を痛感し、諸方の薬方を集めることに余念がなく、その成果の一部は『禁方録』や『禁方集録』などにまとめられた。

 紀州平山での青洲は臨床一筋に精進を積み、四十三歳で紀州藩に召され、士分に列し帯刀を許された。記念すべき全身麻酔下による最初の手術は、文化元年(一八○四)に行われた。六十歳の老女の乳癌に通仙散を用いて、腫瘤摘出術に見事成功したのである。麻酔薬の完成によって華岡流外科は手術手技も多彩を加え、従来の外科医が行い得なかった腫瘍摘出術、関節離断術、膀胱結石摘出術、腟直腸瘻閉鎖術、内翻足整復術をはじめ各種の手術法を考案し、相当の成果を挙げることができた。

 青洲の全身麻酔薬通仙散は、原方が花井仙蔵、大西晴信にあり、おそらく中川修亭を介して青洲に伝わり、完成されたものと考えられる。大成して天下に名声が轟いた青洲は、民衆に対する医療尊重の故をもって、紀洲侯の招きをも再三断わり、特例の勝手勤めで藩の侍医待遇となり、一生を在野にあって診療の第一線で活躍し、南紀の僻村に青洲の盛名をしたって集まる向学の医生はおびただしい数にのぼった。天保六年(一八三五)没した。享年七十六歳。

(参考・宗田一『華岡青洲』、石原明『華岡青洲』)